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	<title>かなの靈 &#187; 活字史</title>
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	<description>文字の靈などといふものが、一體、あるものか、どうか——中島敦</description>
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		<title>日本イエズス会版における日本語活字の開発: 『病者を扶くる心得』の仮名活字組版から</title>
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		<pubDate>Mon, 17 May 2010 13:26:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kzhr</dc:creator>
				<category><![CDATA[印刷史]]></category>
		<category><![CDATA[活字史]]></category>

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			<content:encoded><![CDATA[<p>これは卒論の要旨をさらに2010年2月10日の審査のために書き改めたものである。文意不明瞭を当日指摘されたが、それもまた現実とて、WordPressにあはせた見た目上の改変のほか、さらに改めることはしなかった。なお、この問題にご関心の向きは、拙論よりも、まったく独立に書かれた、</p>
<ul>
<li>白井純(2010)「キリシタン版前期国字版本の仮名用字法について」『国語国文研究』137</li>
</ul>
<p>に就くべきであらう。もちろん、こちらのほうが論ずる範囲がひろいし、本稿の興味とぴったり一致するものではないが。<br />
<span id="more-73"></span></p>
<h3>主題について</h3>
<p>本研究は，日本イエズス会版において，日本語活字をどのように開発したのかという問題を主題とする。そのうえで，今回は，イエズス会が1593年に刊行したと考えられる『病者を扶くる心得』を穿鑿することとした。<br />
日本イエズス会版は，16世紀末から17世紀初頭にかけて，イエズス会日本(副)管区が出版した諸書のことである。日本に西洋式活版印刷が導入されたはじめであると同時に，日本語による活版印刷が行われた最初にあたる。その活動は前後期にわけられるが，後期は，その活溌な出版活動からおおきな関心を集め，さまざまな研究が蓄積されている一方，試作的な前期についてはじゅうぶんな検討がなされてこなかった。<br />
本書『病者を扶くる心得』は，前期活動に属する書物としてもっともおそい部類に入る。この前期の活動は，近年史的な面について明らかになりつつあり，ヨーロッパにおいて調達した活字に頼っており，開発技術についてはとくに得ていなかったであろうことが判明しているが，その技術をめぐっては分明になったとはいいがたい。本書での活字の使用技術は，より整理されているものであることが期待され，かかる問題の検討の上で格好のものである。</p>
<h3>中心とする課題</h3>
<p>本研究では，上記の主題について，</p>
<ol>
<li>活字が開発されたときの体系からどのように整理されたか検討し，</li>
<li>その整理によってどのようなことが可能となったか，</li>
</ol>
<p>という観点からの検討を試みた。</p>
<h3>調査と議論</h3>
<p>まず，第2章において1.について検討した。第2節においては，本書における使用についての問題である活字分類と，活字製作の問題である体系の問題とを比較し，本書における用法が活字体系に従いつつ，濁音や半濁音の仮名について，製作された字体を超えて，部分的にそれを拡張していることを確認した。2.にも関係することであるが，第3節においては，活字用法のなかで位置のさだまらないところのある，すなわち選択に自由度がある活字について検討し，また，その要因たるべき説明項があるか検討した。その結果，各丁ごとに選好が異なること，それが魚尾の出現パターンと一定の関係にあることを指摘しえた。<br />
ついで，第3章において2.について検討するため，個々の仮名活字の用法を見た。検討するに際して，印刷体制が日本にできてすぐ刊行されたと考えられている『どちりいな・きりしたん』についての研究を比較対象として参照した。その結果，位置による異体仮名の選択が『どちりいな・きりしたん』のそれより明確になっていること，位置による選択のほかに，文法的ないし音韻的な意義にもとづいた選択が確認できるようになっていることを指摘した。また，これは第2章第3節においてみた仮名選択と異なり，一貫性があることを確認した。</p>
<h3>結論</h3>
<p>以上のことから，上記検討課題について，以下のように結論した:</p>
<ol>
<li>開発された体系の大枠はほぼ維持されているが，濁音や半濁音の仮名について整理のうえ，拡張されている。</li>
<li>活字の整理にともない，文字選択の安定性の増加がなされた。</li>
</ol>
<p>そのいっぽう，活字体系そのものの拡張が行えなかったため，用法だけの拡張にはそもそも破綻があったのである。<br />
かかる整理を行ったのは，読みやすさを目指すことよりも，多種多様な用字がありえるなかで，そのたびごとに用字を思い悩むことを避けることにあっただろう。規則的な用字法はかならずしも読みやすさにつながるわけではないいっぽう，文選の効率化は，組版や印刷の効率化に繋がるからである。<br />
これを承けて，本稿で指摘したことに発展させるべきことがあるならば，活字の整理という観点から，連綿や仮名もじ遣いなど書記行為をどのように捉えることができるか，検討してゆくことが挙げられるのだろう。そのうえで，本稿でしたような使い分けのない，あるいは使い分けにくい仮名の検討は，一定の意義があるものと思われる。</p>
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		<title>日本イエズス会版の文字　文字史における活字化の一例として</title>
		<link>http://blog.karpan.net/2009/01/writing_env_at_the_press_of_the_japan_sector_of_jesuit/</link>
		<comments>http://blog.karpan.net/2009/01/writing_env_at_the_press_of_the_japan_sector_of_jesuit/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 11 Jan 2009 07:22:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kzhr</dc:creator>
				<category><![CDATA[活字史]]></category>

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		<description><![CDATA[〇、承前
この文書は、筆者が2008年12月に所属学科にて卒論の中間発表資料として執筆したものである。一箇所誤字訂正をした以外に補筆はほどこしてゐない。

A4サイズで1枚に収めるといふ条件のために論を急いだ面があり、ま [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>〇、承前</p>
<p>この文書は、筆者が2008年12月に所属学科にて卒論の中間発表資料として執筆したものである。一箇所誤字訂正をした以外に補筆はほどこしてゐない。</p>
<p><span id="more-30"></span></p>
<p>A4サイズで1枚に収めるといふ条件のために論を急いだ面があり、また、論といふよりはマニフェスト的であって、活字研究の雰囲気をある程度知ってゐなければおもしろみのかけらもないやうな発表を作ってしまった。</p>
<p>先行研究としての言及は、いはゆるキリシタン版研究に偏ってしまったといへ、文字史や活字史研究には十分に触れることができなかった。また、活字本と手写本の性質の相違への言及も不十分であって、会場のかたがたに組版の作業が伝はらなかったやうであった。それは爾後の課題として、ここであらためて説くことはしないが、文字の具体性をどのやうに扱ふか、慎重にしてゆきたい。</p>
<p>研究史のとりあつかひもまだまだこなれず、不適切な言及やまとめでしかないことを恐れる。ご容赦とご批正を冀ふものである。</p>
<p>一、研究対象</p>
<p>日本イエズス会版は、イエズス会日本管区が、その事業として一五八八年から一六二〇年のあいだに刊行した出版物のことをいう。天正少年使節団の 帰日に伴い印刷機を将来、三十三点の出版物が知られる。キリシタン追放（一六一四年）に伴い、印刷機もマカオに移送され、そこで一点を刊行してのちのこと は知られない。</p>
<p>記録に乏しく不明点が多いが、技術はヨーロッパからの移入であり、金属活字による活版印刷で、ラテン文字の出版物が中心であったが、日本語文 字による出版もされている。現在十一点が知られており、活字の種類によって、片仮名本、前期（大字）平仮名本、後期（小字）平仮名本、木活字本（非ヨー ロッパ式）の四種に分類されている。本研究において対象とするのは、このうち、前期平仮名本と後期平仮名本である。</p>
<p>前後期は時期として二分されるだけではなく、前者が文字がおおぶりかつほぼすべて一活字に就き一字であるのに対し、後者はこぶりかつおおくの連綿活字（一活字に数字）を備えるという注目すべき相違がある。</p>
<p>二、研究意義</p>
<p>日本イエズス会版は、その後脈々と続いてゆく日本語文字活字による出版の先頭に立つ。それはすなわち、連綿し、多くの種類の仮名（異体仮名）を 交えて書いてゆくことで読めるかたちにされてきた仮名を、既製品である活字のくみあわせ（組版）を刷りあげることによって読めるようにするというとりくみ の嚆矢でもあり、これを知ることは、印刷と文字との関係という、日本語文字・書記から連綿や異体仮名がまったく廃されることについて重大な影響を及した 要因を解きほぐすうえで大きなみのりをもたらすことであろう。</p>
<p>先行研究には、天理図書館（一九七三）に見られる書誌学・技術史的なものと、安田（一九七三）のような国語学における仮名遣い研究のながれの ふたとおりがあった。近年これらは統合されつつあり、豊島（二〇〇一）では、日本イエズス会版の活字セットにおける漢字の規模・選定・推移や、ラテン文字 と日本語文字の調和の問題（和欧混植）などを検討している。また、小松（一九九八）などの日本語書記史研究の成果も取り入れられはじめている。日本語書記 史では、連綿の維持・文字遣（異体仮名選択）による語境界卓立機能などが研究されてきたが、白井（二〇〇八）では、とくに後期平仮名本の文字遣について調 査し、その文字遣が後期平仮名本の特徴を活かし、語境界卓立機能が実現できることを示し、日本イエズス会版における組版上の工夫をあきらかにした。</p>
<p>三、研究の方向性</p>
<p>現在、先行研究や関係資料の入手および整理から、有効な研究手法とその効果をまとめている段階である。</p>
<p>印刷と文字の関係について考えるとき、高木（二〇〇六）が、明治時代に「る」の活字字形がどのように固定化していったかの歴史を示しているのは 注目される。高木（二〇〇六）の論点からは、文字のかたちという問題において、日本イエズス会版の関係者が、その活字の印するかたちをどのように捉えてい たか、という問題や、仮名の変遷のなかでの日本イエズス会版の文字の位置の問題を考えることができる。白井（二〇〇五）において、前期平仮名本の組版が 「美術的な筆写物にみられる多様性にも配慮したもの」と述べられるとおり、新出のメディアである活字本は筆写本の達成した流麗な仮名を実現せずしては実用 に達しなかった。この点において、日本イエズス会版が後期平仮名本から連綿活字を導入したのは興味ぶかい。</p>
<p>今後研究内容を定めるにあたり、連綿や文字遣の気くばりという仮名に当然備わるべきことを実現しようとすることと、活版印刷の技術的制約との おりあいを付けてゆく試行過程（活字化）を捉えることを考えてゆきたい。そうすることで、文字を活字にするうえで、手書きでは表現できる抑揚や筆づかいと いったものが表現し得ないということは、文字の機能としてどのような性質の違いがあるといえるのか考えてゆくいしずえにしたい。</p>
<p>文献</p>
<ul>
<li>小松英雄（一九九八）『日本語書記史原論』笠間書院</li>
<li>白井純（二〇〇五） 「キリシタン版前期国字版本の平仮名活字について」石塚晴通教授退職記念会編『日本学・敦煌学・漢文訓読の新展開』汲古書院、八三六‐八四三ページ</li>
<li>白井純（二〇〇八）「キリシタン版の文字遣」第九九回訓点語学会研究発表会</li>
<li>高木維（二〇〇六）「ひらがな史の研究　 「る」の字形にみえる印刷・手書きの対照」『北海道大学大学院文学研究科研究論集』六、二二三‐二三八ページ</li>
<li>天理図書館（一九七三）『きりしたん版の研究』</li>
<li>豊島正之（二〇〇一）「ぎやどぺかどる解説」『キリシタン研究』三八、三五四‐三九二ページ</li>
<li>安田章（一九七三）「吉利支丹仮字遣」『国語国文』四二‐九、一‐二〇ページ</li>
</ul>
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