中國古典を訓讀する意義について
以下の文章は、漢文を講ずる科目で單位を得るために書いたレポートである。そもそも結論を出すつもりもなかったのだが、したがきもせず書きおろしたため、文辭よろしくないことおほからうと思ふけれども、ご寬恕いただきたい (しかもコンピュータで原稿を作成したわけではないので)。
以下の文章は、漢文を講ずる科目で單位を得るために書いたレポートである。そもそも結論を出すつもりもなかったのだが、したがきもせず書きおろしたため、文辭よろしくないことおほからうと思ふけれども、ご寬恕いただきたい (しかもコンピュータで原稿を作成したわけではないので)。
2009年9月20日に,東京メディフェス2009において開催されました分科会「グローバリゼーションとオープンソース」においてウィキメディアンからパネリストとして参加いたしました。そこで,まずウィキメディアの言語多様性についてお話しいたしました。
ひとまえでスライドを作って発表をするというのはあまり経験がなく,また内容もひとつのことに特化しすぎたきらいがあり,あまりうまく伝わらなかったかも知れません。配付資料を作りませんでしたので,ここに発表資料を公開して代えようと思います。
〇、承前
この文書は、筆者が2008年12月に所属学科にて卒論の中間発表資料として執筆したものである。一箇所誤字訂正をした以外に補筆はほどこしてゐない。
これは、『閑居友』についての講義で提出したレポートである。上巻第20話について旧来の読解の問題点を指摘した。新見としてはまだまだ至らないところが多いし、旧来の読解についても叮嚀に問題点を指摘しえたわけでもない。その意味で単なる青春の一記録に堕してゐることは否めないが、「さわやかな説話集」(太田晶二郎)とでも読みながしてしまふ一節からなにかを覗きえたやうにも思ふのである。
人類の絕滅は、悟りあるいは魂の救濟、終末論と關はらない——このみっつがそれぞれ可能であるとして、それでもなほ、人類が絕滅することと矛盾しない。だから、人の世とて絕滅するといふ絕望を持ってゐても、まさにわがために人の世を生きるといふのは兩立する。
Even though, it’s just a thought.
+ PCC + / Diary / ことばから加筆・再録。
一枚ひらり
手のすきまからぬけおちて
あなたがどこかの驛から入つた
この鐵の箱は止らない
およそ時刻は狂はない
證は、もう
始終を見てゐた惡魔
天使は音を立てて寢入つてゐる
それを見て
これも見て
いつそう
ほくそ笑む
天使の目がうつすらと開く
止まらない
運ばれていく