江戸期のいろは仮名

要旨

江戸時代,平仮名書きいろは歌手本の字体は固定的であって,「いろは仮名」と呼ばれていた。しかし,すべてのいろは歌手本に現れる字体がすべて同じなのではない。これまで,なにがいろは仮名で,なにがいろは仮名でないか,十分に検討されていなかった。本稿では,手本の字体を見るために,『往来物大系』に現れるすべての平仮名書きいろは歌手本を分析し,稀少字体の量によって典型を守る手本と,典型を守らない手本に二分し,典型を守る手本に現れるものをいろは仮名とした。その結果,従来手本のあいだにゆれが多いみられていた字体の多くが,典型を守らないわずかな手本に集中していることをあきらかにし,いろは仮名がこれまで考えられていたものより安定したものであることを示した。また,このような固定性がいろは歌手本に固有であることを,仮名尽しのひとつを例にして示した。

Abstract

For a long period, in premodern Japan, a pangram was used to learn the minimal requirement for hiragana writing: the Iroha copybook. In the Edo period, the hiragana graphemes appeared in the Iroha copybook had been fixed, and was called Irohagana. However, each grapheme in each copybook is not necessarily the same. Up to now, whether such differences are of Irohagana is not clear. In this article we will examine criteria for Irohagana by an investigation into all copybook in the Great Oraimono Collections (往来物大系, Oraimono Taikei): classification by content of amount of unrepresentative graphemes, into two, representative copybooks and unrepresentative copybooks, and the major graphemes were named Irohagana. As a result, it is found that most of the variations having found in copybooks lean towards unrepresentative ones, and thus Irohagana was a more stable set than believed. We further confirmed that this fixation was peculiar to Iroha copybook by a graphemic variation of another kana pangram.

This article is written in Japanese. The English title and abstract are only provided for informational purpose by the author.

『潮来婦志』の資料性

要旨

潮来(現茨城県潮来市)の遊郭に取材した洒落本、式亭三馬『潮来婦志』(1806年成立、1830年刊行)が、潮来地方の方言資料として見るに値する資料か考察した。『潮来婦志』は、ガ行音に打たれた白圏が当時のガ行音の状況を窺わせるものとして注目を集めてきたが、音価の解釈や加点意図の解釈にいたる以前になされるべき、本資料の資料性の検討がなおざりにされていた。そこで、本論文では、つぎの2点をたよりに本資料の資料性を検討する。すなわち、本資料に見られる(1)格助詞サと(2)白圏は潮来方言を写したと考えられる証拠をどれほど持つものであろうか。ここでは、おもな対比資料として、現在の東北から関東にかけての方言地理学的研究、方言の記述研究および近世後期茨城方言資料を用いた。その結果、(1)格助詞サは、潮来方言の純粋な反映とは見做しがたく、(2)白圏は、個々の語への表記の真正さはともかく、事実の反映と見做してよい。

Abstract

This article assesses the faithfulness of Itako-bushi as a document of premodern Itako dialect. Itako-bushi is a Share-bon (a premodern literary genre depicts licensed quarter) which took the stage in Itako, Ibaraki, Japan, written by Shikitei Samba in 1806, published in 1830. Itako-bushi was known for its diacritic circle noted to Ga-column, which implicates the actual pronunciation of the Ga-column at the time are unnasalized among dialect of the north-eastern Edo. However, Early examinations into the pronunciation and the intention have lacked the assessment of the faithfulness of the language which shall have been done beforehand. In order to assess it, this study investigate these two features surely are reflected from then Itako dialect: (1) a case-clitic “sa” and (2) diacritic circle. I compared them to nowadays geolinguistical survey of from Tohoku to Kanto dialect, and documents of Ibaraki dialect of the near period. Results are follow: (1) is maybe not a reflection, (2) somehow reflects a fact that a pronunciation of word-medial Ka-column in Edo dialect is voiced in Itako dialect.

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日本イエズス会版における日本語活字の開発: 『病者を扶くる心得』の仮名活字組版から

これは卒論の要旨をさらに2010年2月10日の審査のために書き改めたものである。文意不明瞭を当日指摘されたが、それもまた現実とて、WordPressにあはせた見た目上の改変のほか、さらに改めることはしなかった。なお、この問題にご関心の向きは、拙論よりも、まったく独立に書かれた、

  • 白井純(2010)「キリシタン版前期国字版本の仮名用字法について」『国語国文研究』137

に就くべきであらう。もちろん、こちらのほうが論ずる範囲がひろいし、本稿の興味とぴったり一致するものではないが。
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中國古典を訓讀する意義について

以下の文章は、漢文を講ずる科目で單位を得るために書いたレポートである。そもそも結論を出すつもりもなかったのだが、したがきもせず書きおろしたため、文辭よろしくないことおほからうと思ふけれども、ご寬恕いただきたい (しかもコンピュータで原稿を作成したわけではないので)。

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ウィキメディアにおける言語多様性

2009年9月20日に,東京メディフェス2009において開催されました分科会「グローバリゼーションとオープンソース」においてウィキメディアンからパネリストとして参加いたしました。そこで,まずウィキメディアの言語多様性についてお話しいたしました。

ひとまえでスライドを作って発表をするというのはあまり経験がなく,また内容もひとつのことに特化しすぎたきらいがあり,あまりうまく伝わらなかったかも知れません。配付資料を作りませんでしたので,ここに発表資料を公開して代えようと思います。

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いたういふかひなきはなし: 『閑居友』上20話の小說的讀解

これは、『閑居友』についての講義で提出したレポートである。上巻第20話について旧来の読解の問題点を指摘した。新見としてはまだまだ至らないところが多いし、旧来の読解についても叮嚀に問題点を指摘しえたわけでもない。その意味で単なる青春の一記録に堕してゐることは否めないが、「さわやかな説話集」(太田晶二郎)とでも読みながしてしまふ一節からなにかを覗きえたやうにも思ふのである。

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Extinction with Joy, or the Thing of Reality Irrelevant to Eschatology, Salvation nor Enlightenment

人類の絕滅は、悟りあるいは魂の救濟、終末論と關はらない——このみっつがそれぞれ可能であるとして、それでもなほ、人類が絕滅することと矛盾しない。だから、人の世とて絕滅するといふ絕望を持ってゐても、まさにわがために人の世を生きるといふのは兩立する。

Even though, it’s just a thought.

ことば

+ PCC + / Diary / ことばから加筆・再録。

一枚ひらり
手のすきまからぬけおちて

あなたがどこかの驛から入つた

この鐵の箱は止らない
およそ時刻は狂はない

證は、もう

始終を見てゐた惡魔
天使は音を立てて寢入つてゐる

それを見て
これも見て
いつそう
ほくそ笑む

天使の目がうつすらと開く

止まらない
運ばれていく