いたういふかひなきはなし: 『閑居友』上20話の小說的讀解

これは、『閑居友』についての講義で提出したレポートである。上巻第20話について旧来の読解の問題点を指摘した。新見としてはまだまだ至らないところが多いし、旧来の読解についても叮嚀に問題点を指摘しえたわけでもない。その意味で単なる青春の一記録に堕してゐることは否めないが、「さわやかな説話集」(太田晶二郎)とでも読みながしてしまふ一節からなにかを覗きえたやうにも思ふのである。

凡例
『閑居友』の引用に際して、影印本から飜刻をおこなひ、わたくしに淸濁の別、句讀點をあたへた。
括弧內に示されてゐるのは丁數である。


女がよそよそしくなつた夫に訴へる。

かくのみなりゆけば、世中もうきたちておぼゆるに、たれもとしのいたういふかひなくならぬ時、おのがよゝになりなんも、ひとつのなさけなるべし。(上59オ)

この訴へは、のちのち實際に別れてしまふことを考へあはせると興味深い。さらに、發言のなかで、「いふかひなし」の死のイメージに思ひあたる。『宇津保物語』の「あて宮」の卷にいはく、

兵衞の君「おとゞ、宮、君たちひまなくおはしまし、かの君はいふかひなくなり給ヒぬるものを」ときこゆ。(96)

と。閑居友の諸註には、この語を含む語列を、「あまり年をとらないうちに」(美濃部116)といふやうに、とくに踏みこんだ解釋を示してゐないが、死のひびきがまつたくないことばでもないし、にはかに排除できるものでもない。
もちろん、このことばだけがあるわけではなく、「たれもとしのいたう」とあつての解釋でなければ、先に擧げたやうな解釋を示すことはあるまい。死といふのにこれらの形容はそぐはないのであつて、だからこそ、このことばから死を讀みとることが避けられてきたのであらう。小論では、おろかしくも、そのやうな道に足を踏みいれてみたいと思ふ。


たしかに死のにほひが混じるこの語を用ゐられてしまつたことについて、說話のなかで、どのやうな意味があるだらうか。ここで改めて語句をひもときなほしてみる。
「たれも」とは、「どの人も」と解される文脈が一般的である。先學のごとく、お互ひとみてもよいのかもしれぬが、弘めてただ一般的に云つたのでないとも云ひきれない。「いたう」は、「いたく」の音便形であり、「ひどく」などと取る。「いふかひなく」は、「いふかひなし」の連用形で、「1あれこれ言ってもしかたがない。2(人の死を婉曲にあらわして)どう言っても取り返しがつかない。3とりあげて言うほどの価値がないさま」(『日本国語大辞典』「いうかいなし」を私にまとめた)のことである。「ならぬ」は、「なつてゐない」と等しいと考へてよからう。「時」もにはかに解しがたいが、接續助詞的であり、「さのやうな狀態にある場合」とひとまづ考へておく。先學のやうに、「うちに」と解すことができるだらうか。「とき」の語義は、古代よりあまりうつろふことがない。長短の振幅こそあれ、ある一定の時期について云ふことばである。對して、「うちに」は、「さうである時閒のなかで」といふ意味で、untilとbyのやうな差があり、破格を認める理由がなければ、「うちに」とは取りえないと考へる。「いふかひなし」の三義のそれぞれについてここでの解釋を考へると、「みな(或は二人とも、以下同じ)年がひどく取りかへしのつかないやうになつてゐない狀態にある場合」、「みんな、年がはなはだしくなり死んでしまつてゐない狀態にある場合」、「みんな、年がひどくいはんかたなきやうになつてゐない狀態である場合」とそれぞれ解きうるやうに思ふ。


さて、いづれにあるにせよ、女はことのけりを早々につけたがつてゐる。すなはち、老い、その先の死への嫌惡がかう語らせるのであることに疑ひはない。それに對して男の云ふ。

ゑさらずおもふ事、むかしにつゆちりもたかはず。たゞし一の事ありて、うと〳〵しきやうにおぼゆる事ぞある。すぎにしころ、ものへゆくとて、のはらのありしにやすみしに、死たる人のかしらの骨のありしを、つく〴〵とみしほどに、世中あぢきなくはかなくて、たれもしなんのちは、かやうに侍べきぞかし、この人もいかなる人にか、かしづきあふがれけん、たゞいまは、いとけうとくいぶせきどくろにて侍めり。いまより我めのかほのやうをさぐりて、このさまにおなじきかとみんよ、とおもひて、返てさぐりあはするに、さら也、などてかはことならん。それより、なにとなく心もそらにおぼえて、かくおぼしとがむるまでなりにけるにこそあなれ。(上59オ-60オ)

長々と引用したが、ここに改めて示されるとほり、男は、女の老いへの不安にまつたく答へてゐない。答へらしきものは、「月ごろすぎて」(上60オ)、女にあたへられる: 「出家の功德によりて、佛の國にむまれば、かならず返きて、ともをいざなはんとき、心ざしのほどはみゑまうさんするぞ。」(上六〇オ)出家をするだけでは生きたまま人を淨土に導けるものでもないのだから、これは、遠からぬ死を暗示しよう。「おのがよゝ」は、ここに實現されたわけである。


しかし、女が求めてゐたものは、それだけではなかつたのであり、ここに小說風讀解の餘地がある。
三のはじめにおいて、女には老い、ひいてはその影にひそむ死を厭ふ氣持ちが見いだされることを述べた。これについて、男は、死を得て久しいどくろのイメージをあたへ、生前の姿を思ひ描き、さらに、それを妻である女に重ねあはせたと吿白することによつて報ひてゐる。もしここに意味、或は裏を見いだすならば、「自分がこんなに愛してゐる妻も、死んでしまへば、どくろになつてしまふのだなあ」といふ感慨があらう。男にとつて、愛してゐるといふことが失はれかけてゐるのである。
かう考へれば、男にとつて出家は、女を愛することをまさに成就させることでなければならない。だからこそ、數か月のときをおいて得た結論が出家の功德を得て、ともに淨土にむかふことなのである。
とすると、女と男とで、殘りの人生について考へかたにかなりの相違があつたと現代人たるわれわれは結論するほかなからう。
それでは、女の不安はどうなつたのであらうか。上二〇話には、たつたの二人しか登場しない。男が去つたあと、女は當然、獨り殘されるものとせねばならない。テクストにこのことはとりたてて語られることはないが、かう指摘することは許されるだらう。女の不安は、男が悟りを得てその緣によつて淨土に導いてもらへることを待つよりほか解消されまい、と。もしこれが後代の小說であれば、外部の導入によつて事態の轉換がはかられるだらうが、ここでは、ゐない男との同居生活が、この女にはその死まで續くことが豫感されるのである。
このいつ果たされぬともわからない約束をめぐる話、と、小說風には讀める。


さて、いままであへて說話のなかの作者のことには觸れずに來た。あるいはこれを物語として享受しうるかと取りくんできたといへよう。
もちろん、これはかなり邪道なのであつて、これから說話として本話をどのやうに評價しうるか、檢討したい。
慶政が評語において述べるやうに、佛敎のをしへに觸れる機緣をいままで持たなかつたこの男女のうちの男が、たうとい聖のものでもあらうかといふ髑髏を機緣として、出家することにより寂滅の境におもむいたことを讚するのがこの說話における主眼といへる。慶政がこの說話を評するにあたつて、じつに四件の引證がある。その第一は、男を出家へと導いた髑髏への讚であり、殘りの3件は、男が髑髏を見て出家への道が開かれたことが、佛典に說かれきたつたこととどのやうに呼應してゐるのかを說くことに費やされてゐる。發心の折り目正しさが明かされてゐると云つてもあながち過言ではあるまい。
『閑居友』全體から考へるとどうだらうか。藤本は、不淨觀說話は、「人間を表面的な現象だけで判断すべきでなく、現象の背後の本質を発見すべきだという立場から書かれて」(176)ゐるとし、上20話は、「夫のふるまいを、妻は、あだし女への変心と誤解していたが、問いつめていって、彼が悟りの境地に達していたことを知」つた話とする。
單にこれを女が男の變節に氣づかなかつた、男の「僞惡」を見拔けなかつたとするのには疑問がある。ある程度の說得力はあるものの、評語部分での興味のありやうを十分に反映した論ともいへないといふ弱みもある。しかし、さうすると、どのやうに統一的に理解しうるのかといふことが問はれよう。
廣田は、「死骸との遭遇や愛する人との死別という偶然の機会に不浄観を観じるという型は、本来的な不浄観説話ではないがリアリティがあって説話的ふくらみをもった説話を形成する(139)」としてゐる。納得しうることも多いが、不淨に接して發心にいたるといふのは、修行である不淨觀と同一視するのにはやはり難がある。これは、不淨觀をこらすといふことが修行としても望ましいことの傍證としてとりあげられるとしても、不淨觀を自然にこらしてゐたものとはいへないだらう。陷穽のやうなことではあるが、佛敎にくらい者がやりかたこそ知らないけれども一途に求めるといふことに註目が向けられてゐるのであり、その點、上19話のあやしの僧よりも上18話のあやしの者に親く、一種の差別が見いだせるやうにも思ふのである。


では、四までで示してきた評價と、五でこれまでみてきた評價とを統合、もしくは止揚して理解することは認められるのか。
物語、或はテクストとして上20話を讀むとき、久保田の次の發言が腦裏に浮かぶのである: 「説話者としてはきわめて不徹底であり、不適格ですらある」(862)。この引用は、かならずしも久保田の文脈に沿ふものではないが、物語としての焦點と評語としての興味にここまでの⻝ひちがひがあるのは、尋常でないことのやうにしか思はれない。
それでも、あへて、評語のがはからながめるとすれば、慶政はまさに出家の機緣を得ようとしてゐる男に寄りそつてゐたのであらう。出家たる身を勝ちとつた男を、たたへずにゐられなかつた。それが說話として十分に理解されるかといふことはあまり吟味せずに。

引用文獻
『宇津保物語』。『宇津保物語2』河野多麻校注、日本古典文学大系11、岩波書店、1963

[慶政]『閑居友』。『閑居友: 尊経閣本重要文化財』勉誠社文庫125、勉誠社、1985
―――。『閑居友』美濃部重克校注、中世の文学、三弥井書店、1979
久保田淳「恨み深き女生きながら鬼になること: 『閑居友』試論」『文学』35 (1967): 852-63
廣田哲通「不浄観説話の背景」『女子大文学』34 (1983)。『中世仏教説話の研究』勉誠社、1987。107-31
藤本徳明「『閑居友』不浄観説話の成立」『説話物語論集』2 (1973)。『中世仏教説話論』、笠間叢書77、笠間書院、1977。169-86

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