日本イエズス会版の文字 文字史における活字化の一例として

〇、承前

この文書は、筆者が2008年12月に所属学科にて卒論の中間発表資料として執筆したものである。一箇所誤字訂正をした以外に補筆はほどこしてゐない。

A4サイズで1枚に収めるといふ条件のために論を急いだ面があり、また、論といふよりはマニフェスト的であって、活字研究の雰囲気をある程度知ってゐなければおもしろみのかけらもないやうな発表を作ってしまった。

先行研究としての言及は、いはゆるキリシタン版研究に偏ってしまったといへ、文字史や活字史研究には十分に触れることができなかった。また、活字本と手写本の性質の相違への言及も不十分であって、会場のかたがたに組版の作業が伝はらなかったやうであった。それは爾後の課題として、ここであらためて説くことはしないが、文字の具体性をどのやうに扱ふか、慎重にしてゆきたい。

研究史のとりあつかひもまだまだこなれず、不適切な言及やまとめでしかないことを恐れる。ご容赦とご批正を冀ふものである。

一、研究対象

日本イエズス会版は、イエズス会日本管区が、その事業として一五八八年から一六二〇年のあいだに刊行した出版物のことをいう。天正少年使節団の 帰日に伴い印刷機を将来、三十三点の出版物が知られる。キリシタン追放(一六一四年)に伴い、印刷機もマカオに移送され、そこで一点を刊行してのちのこと は知られない。

記録に乏しく不明点が多いが、技術はヨーロッパからの移入であり、金属活字による活版印刷で、ラテン文字の出版物が中心であったが、日本語文 字による出版もされている。現在十一点が知られており、活字の種類によって、片仮名本、前期(大字)平仮名本、後期(小字)平仮名本、木活字本(非ヨー ロッパ式)の四種に分類されている。本研究において対象とするのは、このうち、前期平仮名本と後期平仮名本である。

前後期は時期として二分されるだけではなく、前者が文字がおおぶりかつほぼすべて一活字に就き一字であるのに対し、後者はこぶりかつおおくの連綿活字(一活字に数字)を備えるという注目すべき相違がある。

二、研究意義

日本イエズス会版は、その後脈々と続いてゆく日本語文字活字による出版の先頭に立つ。それはすなわち、連綿し、多くの種類の仮名(異体仮名)を 交えて書いてゆくことで読めるかたちにされてきた仮名を、既製品である活字のくみあわせ(組版)を刷りあげることによって読めるようにするというとりくみ の嚆矢でもあり、これを知ることは、印刷と文字との関係という、日本語文字・書記から連綿や異体仮名がまったく廃されることについて重大な影響を及した 要因を解きほぐすうえで大きなみのりをもたらすことであろう。

先行研究には、天理図書館(一九七三)に見られる書誌学・技術史的なものと、安田(一九七三)のような国語学における仮名遣い研究のながれの ふたとおりがあった。近年これらは統合されつつあり、豊島(二〇〇一)では、日本イエズス会版の活字セットにおける漢字の規模・選定・推移や、ラテン文字 と日本語文字の調和の問題(和欧混植)などを検討している。また、小松(一九九八)などの日本語書記史研究の成果も取り入れられはじめている。日本語書記 史では、連綿の維持・文字遣(異体仮名選択)による語境界卓立機能などが研究されてきたが、白井(二〇〇八)では、とくに後期平仮名本の文字遣について調 査し、その文字遣が後期平仮名本の特徴を活かし、語境界卓立機能が実現できることを示し、日本イエズス会版における組版上の工夫をあきらかにした。

三、研究の方向性

現在、先行研究や関係資料の入手および整理から、有効な研究手法とその効果をまとめている段階である。

印刷と文字の関係について考えるとき、高木(二〇〇六)が、明治時代に「る」の活字字形がどのように固定化していったかの歴史を示しているのは 注目される。高木(二〇〇六)の論点からは、文字のかたちという問題において、日本イエズス会版の関係者が、その活字の印するかたちをどのように捉えてい たか、という問題や、仮名の変遷のなかでの日本イエズス会版の文字の位置の問題を考えることができる。白井(二〇〇五)において、前期平仮名本の組版が 「美術的な筆写物にみられる多様性にも配慮したもの」と述べられるとおり、新出のメディアである活字本は筆写本の達成した流麗な仮名を実現せずしては実用 に達しなかった。この点において、日本イエズス会版が後期平仮名本から連綿活字を導入したのは興味ぶかい。

今後研究内容を定めるにあたり、連綿や文字遣の気くばりという仮名に当然備わるべきことを実現しようとすることと、活版印刷の技術的制約との おりあいを付けてゆく試行過程(活字化)を捉えることを考えてゆきたい。そうすることで、文字を活字にするうえで、手書きでは表現できる抑揚や筆づかいと いったものが表現し得ないということは、文字の機能としてどのような性質の違いがあるといえるのか考えてゆくいしずえにしたい。

文献

  • 小松英雄(一九九八)『日本語書記史原論』笠間書院
  • 白井純(二〇〇五) 「キリシタン版前期国字版本の平仮名活字について」石塚晴通教授退職記念会編『日本学・敦煌学・漢文訓読の新展開』汲古書院、八三六‐八四三ページ
  • 白井純(二〇〇八)「キリシタン版の文字遣」第九九回訓点語学会研究発表会
  • 高木維(二〇〇六)「ひらがな史の研究  「る」の字形にみえる印刷・手書きの対照」『北海道大学大学院文学研究科研究論集』六、二二三‐二三八ページ
  • 天理図書館(一九七三)『きりしたん版の研究』
  • 豊島正之(二〇〇一)「ぎやどぺかどる解説」『キリシタン研究』三八、三五四‐三九二ページ
  • 安田章(一九七三)「吉利支丹仮字遣」『国語国文』四二‐九、一‐二〇ページ

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